TOP あゆみ トピック 例会日程 例会報告 年間成績 会員紹介 会員募集 成績集成 |
竹内 忠が大逆転で年間優勝!! |
2023年度の年間優勝者は、その鍛え抜かれた釣技で例会では抜群の安定度を誇り、毎月のように例会上位に食い込む竹内 忠。戸面原ダムでの最終例会を迎えトップとの差は12sという、もはや無理かと誰もが思っていた状態をもろともせず、井戸裏での底釣りを決めて29sを釣り、例会を優勝すると共に、大逆転で年間優勝もつかみ取った。おめでとう! |
令和5年度 番付 |
中田 猛、悲願の年間優勝!! |
2023年度の年間優勝者は、長年の間、遠く長野から例会に参戦している中田 猛。 入会21年目にしての悲願達成である。春の戸面原ダムで大釣りをして年間成績のトップに立つと、そこから一度もトップをゆずることなく見事に逃げ切ってみせた。 「もう、こんな大変な例会は経験したくない」と口にするが、来季もきっと素晴らしい釣りを見せて、年間レースを盛り上げてくれるに違いない! |
令和4年度 番付 |
四代目会長 小池忠教、逝く |
2022年11月8日23時過ぎ、 浅草へら鮒会の四代目会長を務めた小池忠教が天国へと旅立つ。 享年77歳。 浅草を愛し、会の発展に大いに尽力。 なにより、浅草の例会で勝負することに釣り人生を賭けたその釣り姿は、 いつまでも我々の目に焼きついていることだろう。 会員一同、心よりご冥福をお祈りします。 天国でもへら鮒釣りを楽しんでください! |
福冨大祐が三年連続年間優勝を成し遂げる! |
福冨大祐が、2019年、2021年、2022年(2020年はコロナ感染拡大のため懇親会となり年間成績なし)と、見事な釣果を上げ年間優勝し、三年連続年間優勝を成し遂げた。 新進気鋭のウキ作者として活躍の場を大いに広げながらも、これからも、浅草へら鮒会の若きエースとして、4年、5年と連続年間優勝の記録を伸ばしていってもらいたい! |
叶九隻先生の像が移設されました |
浅草へら鮒会の創設者、叶九隻先生の銅像は、此れまで新利根屋の敷地内に新利根川、横利根川の方角を向いて立っていました。 新利根屋の閉店に伴い、銅像が叶先生のお墓(千葉市中央区弁天4−9−1 常光閣)に移ったことを報告申し上げます。これからも私たちを見守ってください |
令和2年度 番付 |
歴史を語る写真を紹介します |
昭和40年、日研の団体トーナメント優勝を祝う祝賀会の写真です。 前列 左から楊青松、佐藤紫舟、上野枯舟 一人おいて 叶九隻、金久保光魚 一人おいて和田敬造、野口昭。中列 中腰左から楊仁和、杉田富弥、清水昭。後列 左から稲益真琴、橋本弘 一人おいて 高田昇、金子露舟、北村満義。中央に座る叶九隻から右上へ桂馬跳び 明るく写っているのが鈴木勝人、その後ろメガネ姿で顔だけ出ているのが横山朝吉、右へネクタイが加瀬一夫、顔だけ出ている木村悠水、ネクタイの美男子は荒木宏正、体格の良い篠一舟、その右下 素敵なヒゲが増田逸魚、その右上は柳澤孝好 |
日研団体トーナメント決勝戦、場所は、今は無きバナナ! ※コメントには、昭和26年とあるが、昭和26年度は竿を出さずに引き分けた為、この写真は昭和27年度の決勝時の可能性がある。 ※また、対戦相手は、昭和27年度の決勝戦で対戦した「森清・・」とある。 「バナナ」について 水郷大橋を渡って、右側に横利根川、左に、西代(にっちろ)の江湖をはじめ、バナナ、小バナナなどがあり、一面が水郷地帯でした。 |
昭和26年 日研団体トーナメント優勝時の1コマ 後列には、当時の日本へら鮒釣研究会の役員達が列席している。 ※コメントには、昭和26年とあるが、下の写真と若干服装が異なるため、昭和27年度の優勝時の可能性がある。 |
昭和26年 日研団体トーナメント優勝時の1コマ トロフィーの左側のリボンに、「第一回優勝古河へら鮒・・・」の文字が確認できる。 実は、日研の第一回団体戦は前年に、「全関東へら鮒釣団体対抗競技大会」という競技名で行われた。 この年以降、「日研団体トーナメント」として続いている。 |
この写真は、昭和25年11月19日に行われた、「全関東へら鮒釣団体対抗競技大会」での1コマと思われます。
佐原町役場階上にて表彰式との文書の記録が有るが、その時の写真か? そうであれば、浅草へら鮒会はこの時、3等の成績を収めました。 先の2枚の写真から、叶九隻、トロフィーを持っている星野光男、表彰状を持っている三島一剛、椿魚舟、団旗を持っている関沢潤一郎? 欠席者右の小林健次郎?が写っているが、他の偉人は不明。前列の中央の人物は佐原町長か? 発会当初の面々がいると思われます。当時を知る方や、名前が分かる方がいましたら、ご連絡頂けると助かります。 連絡先:info@asakusaherabunakai.jp 余談 昭和15年(1940)に、国民服令が制定され、男性の標準服としてカーキ色の布地でつくられた国民服の着用が奨励されたあおりで、この頃の服装は、カーキ色の国民服を着用している者が多い。 |
TOP あゆみ トピック 例会日程 例会報告 年間成績 会員紹介 会員募集 成績集成 |